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今週の日曜に昔ファンだった金城武が出ているレッドクリフを観にいってきました。
三国志はおじさんたちの読み物というイメージがありますが、私達世代にとっての三国志は、幼い頃NHKの人形劇で見ていたり、漫画本などが置いて在るサテンなんぞにてボロボロの漫画を読んだりをギリギリまだしていた世代。(ちなみに私は根がおじさんなのでもちろん三国志は本にてはまったタイプです)
まだなじみがあるのではないかと思います。
来店した私より年齢が少し下のお客さんと映画について熱く語っていた際(彼女は京都のど真ん中で夜観たらしく)封切りすぐの日曜なのにガラガラで驚いたとのこと。私は愛知県の郊外地元密着の映画館で朝観たのですが50前後のご夫婦で一杯。二人で話しながら感じたことは年代での興味の持ち方の差でした。「それって人が行動する時間帯にもでているね。」と二人して三国志=その年代の人が観る?と興味を覚えました。
「パート2につづく・・・なんて聴いてない。」と言いながらお客さんと熱く語った後なのでもう三国志の内容に関してはここで書くつもりはないのですが、短い時間の中に劉備と三武勇たちの逸話を小道具も含め「細かいポイントで入れているねー。」と観ながらつい嬉しくなったりしていました。
ですが「孔明・周喩・小喬が主役です。それ以外はモンゴロイドです。内眼角ひだ(人種特徴)があります。今回はこちらが主役ではありません。」と言わんばかりの配役に劉備と三武勇達も好きな私としてはもうちょっと色を出して欲しかったと思うのでした。
同盟を結んだ孔明と周喩が横並びに並んだ際、2人とも仕事に関する行動力を意味する場所に同じように「ほくろ」があることがおもしろいなと思いました。
観相学では「ほくろ」は無意識の中の意識を意味します。顔のほくろは結構とる人が多い(特に芸能人は)現状がありますが(個性として戦略としてわざと残している人・芸能人もいますが)耳のほくろまで取る人は少ない。耳はその人のイデオロギーがでる場所。孔明と周喩というよりアジアを代表する2人の男優さんとしてなかなかおもしろいなと思い観ていました。
この文章を書いている時、「劉備」の字を変換する際に出てきた「柳眉」これもこの時代の美人の眉に象徴される文字です。
細くて長い柳の葉を眉に見立てた眉のことで歴史では「楊貴妃の眉」などでよく出てきます。
ひ弱過弱さの象徴で男性からの愛情を基に生き、自分で生きる力にかける眉として、現代女性の眉の書き方とは違った美しさをだすこの時代ならではの有名な眉。小喬も細すぎるまではいきませんでしたが、書き方として柳眉眉を意識した描き方をメイクさんがしているなと感じました。(さすが中国。観相学の発祥の地。)
元々芸術面で(感性)周喩に負けず劣らずの能力の持ち主だったはずの小喬?(私の記憶では・・・)映画内で孔明と周喩が琴をデュエットしているシーン後に、小喬が音色からお互いの気持ちを読み解いていたシーンに感性と個性を感じました。パート1にては、この時代に象徴される男性の持ち物としての女性性がでている顔(メイクを含めた演出の仕方)にとどまっているけど、パート2にて芯の強さと聡明さをかねそろえているはず?の小喬の演出や表情にも注目したいなと思いました。
昔は時代背景とともに顔にはその時代の職業・役割まで現す役目がありました。特に眉はその人の意思や感情そして遺伝子を表しその人なりを表すところです。眉もふくめ現在日本の時代劇などは現代人に近い(受け入れやすい)描き方で描かれているので、なかなかそのような顔にテレビでお目にかかることはありません。ですが主役ではありませんが本来主役になりそうな(今回私的には脇役の・・・)劉備と三武勇達はなかなかどうしていかにもという顔と眉の書き方。(特に眉の作り方はその主張がおもしろい。)ここらへんが私は本にて創造するイメージと直結しやすくて感情移入できてよかったです。
ちょっと皆さんと映画の観かたが違いますかね。でもこんな観かたも違ってて面白いでしょ。「観ていて随分忘れていることが多いわ。また読みたいわ。」と私に思わせる三国志はやはりおもしろい。と再度思いました。あと美男子で有名だった周喩の役がトニー・レオン(だったよね?)。いつまでたってもハンサムな役を皆に期待され40代(半ば?)と思うのだけど、30代半ばの設定と思われる美男子周喩の役をせねばならないのも嬉しいような辛いような気持ちになったりはしないのだろうか?「案外ハンサムさん以外のばかげた役もやりたかったりして・・・」なーんてハンサム2人を観ながら思わず思うのでした。(笑)
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