(メルロポンティ「知覚の現象学」著書の中から・・・)
「私は知覚的経験によって、世界の厚みのなかに深く入り込んでいる」のである。
「見えない 聞こえない」
片目が視力障害で難聴の肺がん女性患者。
(両目とも)視力障害で難聴、気管切開にて声が出せない肺がん男性患者。
に施術を行った後、上記言葉が気になった。
なぜ気になるのか。
それは二人とも感情を露にし、泣き、握った手を離さない。
最後、看護師が施術者を迎えに来、その場の中に入り、その場を共有し、まとめ、施術者が部屋を出る事ができるように誘導するとなったからである。
90代女性患者は、初め、胸の上で両手を祈るように組み、すぼめるように口元に力を入れ、施術を受けていた。
施術の好み等を聴くため何度か足元から離れ、聞こえる方の耳元に向かい、何度か簡単な会話を行ないながら施術を行った。
途中、患者さんは「弱っている者には沁みる」と一言言い涙し必死にハンカチを探す。
そしてその後、硬く緊張していた手元・口元の様子は変化し緩みを帯び、施術後、施術者の手を握り話だす事となった。
途中から施術者を若い頃の友人に投影し、最後まで手は離さず、投影した相手に女性患者は心残りを話す姿となった。
担当看護師が途中「私も一緒にお話を聞いてもいいかな」と部屋に入って来た後も「この後、他の人のところに行かないといけないのよね」と手は離さず、話の途中何度と上記言葉を言っていた。
90代男性患者は、不安・淋しさがあると聞き部屋を訪れた。
ベッド横には娘さんが手を握り、難聴のお父様へ話をしている状況であった。
施術者は枕元にあった筒を男性患者の耳近くにし施術を開始することなどの了解を得た。そして、患者の手を施術最後まで握っていたベッド横に座っている娘の話を傾聴しながら、施術をおこなった。
施術が終わり娘は患者の手を施術者に渡す。
よく見えない両目で一生懸命施術者を見ようとし、握った手に力をいれ強く握っている。男性患者は空いている右手を目の上に持っていき、更に握った手に力に入れ、口をゆがませ泣く。
点滴の替えに来ていた担当看護師が目頭を抑えながらその場をまとめた。
二人とも現在、目は見えにくく耳も聞こえにくく、そして今死を近くに感じ、孤独で不安定で緊張している姿に見えた。
その中で表す自然的態度の中に患者の思惟を感じた。
この状況下で患者が感じる知覚は、今ぞくしている世界の中で己を深く知ることになる知覚。
その(内在的)世界の厚みと奥行きの中、知覚を感じる経験。
その経験とは、一切の諸行為がその上に浮き出してくる地となるのではないだろうか。
地から浮き上がったものを反復し認める作業が、女性患者の言う「弱っている者には沁みる」となるのではないか。
触れ合う者は地となる場を共有する者。
共有者から共存在の実感者へと変更されるとはどのような状況だから可能となるのだろうか。
ただ今回に関して触れる側の認識は「患者は、孤独で、不安定で、緊張している」との認識の元、触れていた。
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