対人援助論というと福祉の分野でよく出て来る名称かもしれませんね。
久しぶりに書く内容なのになぜ今回この内容にしようと思ったかと言うと理由は2つあります。
1つは香港で(アロマセラピーの勉強のため行っていました)一つ釜の飯を食べ一緒に勉強に励んだ友人に講義「科学からアロマセラピーを理解する」を私だけの為に主催してもらった際(化学に弱い私の願いで)本当にアロマを愛するセラピストであり指導者であるからこその悩みを聞いた際の帰り道に言ってくれた彼女の言葉。
もう1つは年度が変わる春の時期。私は京都ノートルダム女子大の教授率いるNPO法人対人援助スピリチュアルケア研究会の事務局をなぜかしています。一年前軽い気持ちで引き受けたのはいいのですがこの年度末かなりの仕事量に頭と体がバテバテ。事務局を一緒に運営している彼女とともに事務仕事に振り回されている状況。こんなはずじゃなかった—っていう感じなのです。
この2つが近頃の私の頭の多くを占めていたため今回このお題となりました。
村田理論とも言われるこの理論は(簡単に言うと)多くは(社会人としては)看護師やソーシャルワーカそして医師など終末期癌患者等と接する医療者の多くが勉強される理論であり学問です。
ちなみにアロマセラピストとして対人援助・スピリチュアルケアを勉強し癌患者のケアに実際行っている人は私だけだそうです。
医療者が受ける研修なのになぜか私の元に案内が届き結果補習まで受け認定をもらいそして第一回学術研究会にて発表までし更に現在では事務局になっている・・・・。この展開はなんなのでしょう。人の縁時の縁地の縁と言いますが将にそうだなと思います。
縁とは摩訶不思議なものです。対人援助・スピリチュアルケア論に出会ってすぐの頃は私の父がステージ4の癌に倒れた頃でした。(今はおかげさんで手術も成功し彼自身も仕事もしています。)
私はそれまでも緩和ケア病棟にて末期癌患者を多く看てきました。ですが自分がその立場に立った時家族の立場に立った時こんなに自分とは脆く危ういものかと切に感じさせられました。もちろんそのような場所に自身の身を何年と置いている訳ですから専門家は沢山います。そしていろいろな療法や方法を行う専門家もよく知っている方だと思います。いろいろなことを知りいつでも実行できる立場にいた私でしたがその様々なものよりただ話しを聴いてもらえた。それもきちんと自分の奥底の気持ちを聴いてもらえた。ということが自分を回復できる大きな柱になりました。
患者さんや家族などは自分の存在と意味が弱められている「時」があります。そんな時に発する言葉にはそんな自分という存在を支えるメッセージを本人は気が付かなくても言っている場合があります。また言いながら自分の「力」を汲み取ろうとしている場合もあります。
たまたま私もそのような立場になったその時・時期に援助的コミニケーションの専門性ができる人達とかかわっていたことに人の縁の不思議を思うのです。
ここで言うスピリチュアルケアとは誰かの助言を聞き行うというものではありません。
その人が言う一番大切なメッセージを正確に聴きその人自身がスピリチュアルケアを行う際に立ち会うだけのケアです。それに合った聴く耳を持ってその人が自分でケアをする状態を支えるという作業のことを指します。
どんな強い人でも弱くなる時がある。だからこそ人間なのだと私は思います。
どんなに弱く見えている人であったとしてもちゃんとその人が持つ本当の強さは持っていると私は日頃から思っています。
ただそのことを自身が納得し知るという機会に会うことの出来る人とその時機会に恵まれなかったという人との違いはあるのだと思います。
それは何も病気になるからとかだけではなく日常にも潜んでいる事柄なのだと思います。
この文章の初めに友人の言葉から対人援助・スピリチュアルケアの話を今回書くことにしましたとあります。これは彼女には力があるのに自分で自分の存在と意味を弱めて発揮できる力を発揮しにくい状況に自分でしてしまい苦しんでいた状況だったから。でも何か腑に落ちスッキリし力を感じることができるようになり私を駅まで送ってくれる帰り道に「もっと前に出て力を発揮し人が必要とすることをどんどん率先してやってほしい」と反対に檄を飛ばされ言われたから。(笑)
私は自分が自分でケアができなくなった時、例えば死が近いとされた時などに自分が行っているケアを自身が受けたいということが自分を動かすエンジンとなりボランティアをしたりNPOを手伝ったりということをしています。
これはヒールエナジーをはじめた時に「仕事で頂いたものの一部をその時にできる自分の範囲で社会に還元しよう。」という気持ちでここを運営してきたというものがベースにあります。
今事務局でヒーヒー言っているのもその結果の「縁尋機妙」なのかもしれません。良き縁を尋ねてその発展の仕方といえば誠に機妙である。ということですかね。
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