この学術大会では2度目、そして3年ぶりの発表を先月10月に行いました。
それほど大きな学会ではないし、広報もほとんどせず、天候にも恵まれないという内容だったのに、人もそれなりに集まり、政治家の奥様や新聞社も来ていて(大会途中で判明)、後日には大会会長で当NPOの会長の写真と内容が大きくしっかり朝日新聞に載っていたのにはびっくりしました。
私の発表題名は「アロマセラピーと身体的実存」とやや硬め重めの内容です。
対象者は主に、終末期がん患者のケアを行う医師・看護師・ソーシャルワーカーなど医療従事者や福祉関係者です。私と同じアロマ関係者は、会場にいらしても医療従事者という状況で、一般人の私には、かなり息苦しい状況での発表でした。
私が今回発表することになった経緯はさておき、与えられた30分中の15分のスライドはかなり衝撃を与えたようでした。終末期のケアの中、アロマやリフレによって、触れられるそして触れ合うという行為の中で発せられる、患者の行為や言動そして顔つき、その現実に発表後会場は静まり帰っていました。
「生老病死」という一般にはどうにもならないものとされている言葉があります。
人間はこの世に生をうけ、誰でも年をとり、どんなに用心していても病気にかかり、そしていつかは死んでゆく。でも、老に向う今も・病の中にいる今も・死に向っている今も、どのような場合であっても、その人に「今」が存在するのであれば、それは生が基本にありその事により成り立っている。
だから、どのような場面や場合でも、人はそこで生き易い自分を創ろうとし、生き易やすくする場を求める。発表の内容は、触れられている・触れ合っている中でみせる患者の「生」の姿と、スピリチュアルケアとしてのアロマやリフレの可能性についてでした。
私はアロマやリフレなど、セラピーとして関わるものは生・老の時で、病の時は治療キュアとし病院へかかり、死を意識の中で近く感じる頃はケアへと移行し、そこからスピリチュアルケアの割合が多なり、またそういった関わりを行うに、アロマやリフレは行いやすい道具となると思っています。
キュア(治療)ケア(関係性の方法)セラピーとはその両方であると思っています。
そして本物のセラピストは、ケアやキュアを意識して出来る人のことで、また、そのケアやキュアを使用し、対象の方が、それぞれ置かれている場所で、生き易くする活力をご自身の中から出せるように導く人だと思っています。
癒しや活力がアップするということは、その人のパフォーマンスがしやくなることであり、生きること、そして、思考することを四苦八苦にしない方向に繋がる事だと思っています。
行為の意味がわかって提供する人がプロフェッショナルな人だと思っています。
こんな偉そうなことを言っているのですが、今回の私の発表は、スライドに対する私の認識と設備側との違いにチグハグ、スライドに頼りすぎていてアクシデントに対応できずトラブル、その時点で頭真っ白で私の中に「よし!」がなく頭クリアー受容モードではなく、質疑応答の時にアタフタ。
一連の流れの中にみられるミスと自分の甘さ加減があまりにショックで、数日間、布団に入ると涙が出てくるし、鬱々が取れないし、冬になったら洋服が重くなるから髪を短くしようと思っていたけど、時期早く、長さも思い切って30cm程ばっさり切って気を入れ替えるなどの行動をとっていました。
こんな行動の元、周りが主人に「こいつがなんか悪い事したんか!」
そして主人は「なんで俺やねん!」と酒の席で結果大笑い。
髪も短くなり、気も軽くなり、そんでもって何だか活力が反対に出てきて、そんな顔していたら、方々で「おー髪切ったんか(笑)へーいいやん」て、何だか周りにいるそれぞれの捉えかたも好意的。
いろいろあったけど、今回私が勉強したのは、実行現場にこだわる。これ一言でした。
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