ちょうど去年のクリスマスに私の97歳の祖母が亡くなりました。
耳が遠いくらいで、年齢以外にさほど心配事の無かった祖母でしたが、12月初めに肺炎から様態が悪くなり、家族を呼び寄せる事となりました。
家族の動きがあたふたと忙しくなりはじめた。
私の一週間の主な行動は、自宅には寝に帰る、週末は主人の(今の)転勤先の愛知県にいる、月曜は朝4:30に起き仕事場である京都に車で向う。をベースに動き、予定がすでに入っている状況で、聞いて今すぐに、祖母に会いに行くとならなかった。
会いに行ったときの祖母は、入院後、急に声が出なくなり・話ができなくなり・目も開かず・聞こえずとなっていた。
耳元で大きな声で話しても反応がなく、体を横向きに動きもなく小さく見えた。
話でのコミニケーションが出来ない。
薬が効かず浮腫んだ足を私は触り始めた。
触り始めしばしすると、全く反応のなかった祖母の足が反応しだした。
緩和ケアに8〜9年通い、患者さんの状態を肌身で感じ見てきた中で、しばし同じ状況がある。
同じ状況下の患者さんでこの足の動きをする人がいる。
感覚からそう思った。
その反応を見ながら、手は止めず、しばし私は祖母の足のマッサージを続けた。
情態を見、手を止め、祖母の顔の近くに近づいた。
そうすると、開こうとしなかった目が少し開き始めていた。
「おばあちゃん。玲子だよ。わかる?」と肩を支え触りながら聞こえない耳に話かけた。
そうすると一生懸命、目を開けようとするそぶりを見せた。
私はまた足元に戻り足を刺激し続けた。
そして、祖母の顔近くに戻ると、先ほどより更に目を開け、声の出ない状況なのに声を出そうとしている祖母の姿があった。
また同じように問いかけると、目の焦点を私に向け外さず、声をだそうとしている姿になり、病室にいた私の母が驚く事となった。
この姿に私は「身体的実存」の姿を見た。
コミニケーションには、言語的コミニケーションと非言語的コミニケーションがあるが、非言語的コミニケーションが言語的コミニケーションに勝る場合がある。
祖母のような状態におかれている人の多くは、今の状態に孤独を感じている。
死を近くに感じ、怖いそして恐れの感情のなか、緊張している。
触れられる事。それは心を和ませ癒しになり、知覚を通し生の実感を体験すること。
その事は、不安定な中に「生きている」という安定を与える。
安定に繋がったから、その3日後、来院した時には、目がパッチリ開き、横向きしかしなかった体勢を仰向けに姿勢に変え、話かける相手に向い手が向う。そして言葉はわからないが声が出るという状況となっていたのだと私は思っている。
「あと数日」と言われ、はじめ来院したが「2週間だな」と、よくなっている様に一般には見えるが私にはそのように見え、両親にも帰りの車の中でそう伝えていた。
クリスマスの朝、叔父が担当医師から「この状態だったら等分は大丈夫ですよ」と説明を受けて一時間もしない状況で急変し亡くなる事となった事に、いろいろ考えさせられたのでした。
ちなみに、この中で出てくる「身体的実存」とは、緊張して手に汗握る<私>であり、身体の疲れで悲しくなる<私>のことである。世界と交感し、「世界へと身を挺している主体」(メルロ=ポンティ)のことをいう。
3年ほど私は自分が所属する医療者中心の勉強会に行っていました。
毎回発表するためのレポートを作成するのですが、祖母の四十九日も終わったので、今回少しその内容を紹介してみようと思いました。
哲学でよく聞かれるハイデッガーの「存在と時間」メルロポンティの「知覚の現象学」を読みそれぞれの立場でレポートを書き・・・というちょっとお堅い内容のものですが、今回難しい言葉は排除して読みやすくしたつもりです。
大切に思う誰かが病気になってしまった、またそうゆう体験をされた方。
介護をされている、人と関わる・触る仕事をされている、そんな方々に読んでもらって、何か感じてもらえればなと思い、やや重いテーマのものですが、6つアップしました。
よかったら読んでください。
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