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エステコラム“ハート&ソウル”玲子プロフィール

Vol.55 - 罪を背負い生を生きる -
 

(ハイデッガー「存在と時間」著書の中で・・・)
 不安へと自らをととのえて、自己のもっとも固有な罪ある存在へとみずからを沈黙のうちに投企すること。

「罪を背負い生を生きる」

緩和ケア病棟にてある男性患者と接しこの言葉が気になった。
「良心と罪」「罪と良心」彼の話す仕方、その開示とする所が気になった。
良心と罪とした場合、自己の外に何か「神」とか神秘的な実体とかを求める必要がなくなる。また罪と良心とした場合、道徳律の基礎を罪におくということはまさに啓示的なことである。
私はいつもの様に足のケアを行う為に彼の足に触れた。
彼は足に触れている最中かすかに身を硬くしながら涙を何度と流していた。
施術中、互いの間に特に話があった訳でも無い。ただ患者が足を触れられているという「間」の中の出来事である。
触れられることで自己を意識する。触れられていることで自己を意識している。そして私が在る。
スピリチュアルケアをするのは患者自身で、そこに存在という形でセラピストは立ち会うだけで在る。
またここでいう存在の優先順位はセラピストの事ではなく、男性患者に触れている手という道具。
その道具という存在を介する事で触れ合う事で自身の存在を確認する事となる。
「今」を近くする姿「自身」を認識し、その事で自身が自身にスピリチュアルケアをしている姿に私は見てとれる。
キュアではなくケアを欲する人の方が「手」という道具の存在を感じる事となっているのではないだろうか。
そして今回「良心と罪」「罪と良心」その事が気になった。
施術中涙を何度と流す光景があった為、私は施術を止め、男性患者さんの顔の近くに行き途中から傾聴に入った。
その後、彼の口から何度と出る「罪」の告白となった。
聖書を枕元に置く彼の語りは彼にとって告白ではなく告解なのだろうと感じた。
彼は良心から罪を見るのではなく、罪から良心を見る視線で、話をつぶやく様な声で何度も話しを繰り返した。
良心が自己から自己への呼びかけとして解釈されている以上、現存在にとって自己であるか自己であらぬかの選択が意味あるものでなければならない。そして後者の自己であらぬことの可能性は、罪に根拠づけられているのであるとハイデガーの「存在と時間」の中にあった。
彼は罪に苦しみ罪を背負い感じる事で今を認識し生きている。
そして彼は今罪を感じている事の先に超越が有りそこに死が在るという。そしてその超越を彼は感じたいと言う。
彼は超越する事で死の怖さを感じたくないと思う事にしているのかもしれない。また今罪を背負っている苦痛している自分を、死ではなく超越という言葉にする事によって罪心が良に変化し超越により赦される事になると感じ信仰されている姿だったのかもしれない。
同じ様に施術中涙を流す人で「良心と罪」の語りをする人達はいる。
でもその際は最後に超越があるのではなく、触れられる事の中で「私が認識しているから私が在る」と認識と意識の話に最終向かうように感じている。
緩和ケアでのセラピストの役割は「手を介して」だけが癒しの役割ではない。
時には手を止め、患者のスピリチュアルペインに向き合う、傾聴が必要となる時が多くある。
スピリチュアルケアをする人は患者さん自身。
その内的自己の探求を支える関係。

そのことが、その時を生きるのを支えるのだと思う。




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