私が病院で関わっている患者さんに、脳腫瘍で半身麻痺のある患者さんがおられま
す。
施術終了後、いつものように提出物を記載しながら、患者さんの担当看護師と話をし
ていた際、ある印象的な言葉がありました。
「刺激って、やっぱり大切だと思った」
これは、一ヶ月という期間の中で、足の刺激を通して(家族や看護スタッフの認識)言
葉を発語しだすようになったという認識から・思いから出た言葉です。
私にとり、この方で印象的な事があります。
一ヶ月前、私が行ったリフレクソロジーを体験されたのが、リハビリ以外に施術とし
て体験される始めての時でした。
始めは疑心の目で見、からの、スタートでした。
施術を受けている時、周りでは家族が見守り、家族は患者に話かけています。
ですが、この頃は、少しの単語の会話がやっとの頃で、会話にキャッチボールはあり
ません。でも、家族はずーと話かける。そこに家族の思いを感じながら私は施術をし
ていました。
その光景の中、半身不随側の足を施術中、何度と「ピク・・・ピク・・・」と反応す
るように、動く、反対側の足の反応がありました。
顔を見ると、動く半身側の手が目の近くにいき、目を覆うような目を掻いているよう
な仕草をしていました。
少しすると、動かない側の足を、施術している私の手の上に、患者さんの動く側の足
裏をピッタリと付けて、ずーと「離れない」となりました。
動かなくなっている自身の足の知覚を、動き刺激している私の手に自身の足を乗せる
ことで、私の手を通じて知覚している姿だったのかもしれません。
自身の動く足は私の手の上に。自身の動く手は、何度と、目の近くに・・・となって
いました。脳腫瘍の半身麻痺なため、表情の変化は見当たりません。
ですが「目は心の窓」。足元にいる私から観て、すでに疑心の目ではなく、その時の
黒目は、湿り気を持ち光り、黒く見えたのが印象的でした。
彼にとっての体験の時間は彼にしか体験できない質的な時間。
何かを感じ、感情を想起させる事となり、足を離さないとの行動となったのであれ
ば、この関わりは心のレベル・癒しの過程に影響があったのではないか、と、個人的
には思うのです。
一ヵ月後、2度目に施術する事となった際、施術前に家族から、言葉を詰まらせなが
ら「足の刺激から言葉を発語しだすようになった」と。
そして施術中、施術者が「単語で」話しかける言葉に、ゆっくりだが「単語で」発語
しコミニケーションできる姿となっていた。
施術後ベットサイド近くに行った際、名札をくいるように見ている患者さんに自己紹
介し、「次も来ますね。これからもよろしく」と手を出すと疑心ではなく「よろし
く」と手を出し、強く握手を返して来てくれた姿に、
心は観、聴き、喜び、硬くなり、柔らかくなりを行う。
人の器官は心に左右されている。心のレベルは表情や表現に影響を与える。
セラピストとしても、観相学を教える立場の人間として、からも、今回の事からも、
私からはそう見えそう思う時間なのでした。
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